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WBCから学んだこと
なんとも劇的な幕切れであった。野球の本場アメリカ・マイアミでのアメリカとの決勝戦。一進一退が続く中、前日3月20日のメキシコ戦の勢いをそのままに、アウェイとは思えない戦いぶりで強豪アメリカを圧倒。最後は大谷投手がエンゼルスの同僚で世界最高の選手と呼び声の高いトラウト選手を三振に打ち取ってゲームセット。まるでおとぎ話の様な幕切れで日本が優勝した。WBCの話しである。
日本も野球大国ではあるが、いまやサッカーに押されて、子供なら誰もが野球をするという環境ではない。それでも多くの好投手を擁し、ヌートバー選手を皮切りに切れ目のない打線と村上選手や岡本選手といった和製大砲などを揃えて順調にアジア予選を勝ち上がり、準決勝はメキシコに大逆転して決勝戦を迎え、最後に2009年以来の3度目となる歓喜の優勝へといざなったのは大谷選手であった。大谷選手が出場を決めたことで、日本チームの士気は大きくあがったと言っていいだろう。
そんな大谷選手が出場を決めた理由の1つが日本代表監督をつとめた栗山監督である。大谷選手が日本ハムに所属していた時の監督であり、高校を出てMLBへ行くことを宣言しながら敢えて日本ハムが指名し、誠意をもって対応したことで入団が決まった。以来、師弟関係だ。
そんな栗山監督を特集した番組がテレビで放映された。選手としては一流とはいえず、メニエール病を発症して引退したあとも野球に携わる為に多くのプロ野球OBと接触。西鉄の名監督として名を馳せた三原修監督直筆のノートを娘婿で西鉄のホームランバッターであった中西太氏から授かり、それをバイブルとした。そのノートを何度も読むだけではなく、読むたびごとに印刷することで、その時々の課題を新たな視点で読むことで解決のヒントが得られたそうだ。三原監督の采配は三原マジックと呼ばれたが、まわりから見ればマジックかも知れないが、本人にとってそれは必然であった。三原監督の教え子である元オリックスの仰木彬監督もその采配や選手起用で仰木マジックと呼ばれ、トルネード投法の野茂英雄投手や振り子打法のイチロー選手を稀代の名選手に育て上げた。その視点は適材適所であったそうである。その後、栗山監督は日本ハムの監督に就任。大谷選手の二刀流もそうした栗山マジックにあったといっても過言ではなさそうだ。
今回のWBCを通じて監督=社長、コーチ=役員、選手=社員などと置き換えてみるとおもしろい。さて果たして我が社は少しでもチームジャパンに追い付けるかな?まずは監督が選手を知り、それぞれの良さを引き出さなければならない。任せたら我慢もしなければならない。そして仕事が楽しいことだと思って貰える環境をつくらなくてはいけない。ウーン、頭ではわかっているんだけどなぁ。。。これはなかなかに難しい。監督、いまだ勉強なり!
代表取締役社長 三浦 良典


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