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未来への進化 |
私が入社したのは1997年で入社して早19年が経ちます。当時の先輩は大多数が定年退職し、現在在籍しているほとんどの社員は私より後の入社となっています。 入社当時を振り返ると本社の営業は5グループありましたが、現在は3グループ体制となっております。日本の鉄鋼メーカーも2003年に川崎製鉄株式会社と日本鋼管株式会社(NKK)が統合して、JFEスチール株式会社が誕生し、2012年には新日本製鐵株式会社と住友金属工業株式会社が統合して、新日鐵住金株式会社が誕生しました。
海外の鉄鋼メーカーでは2006年にルクセンブルグのアルセロール社と、オランダのミッタル・スチール社が統合して、アルセロール・ミッタル社の誕生等、時代と共に大きく変化しております。
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我が鋼材事業部も大きく変わっております。営業部門は携帯電話やiPadを導入し、情報をリアルタイムで入手し、素早い対応ができ効率を上げています。浦安センターのビデオはホームページへ掲載しています。このビデオを含め、色々な商品カタログもiPadを活用して、プレゼンテーション出来る様にした事は、とても解り易いとお客様から好評を頂いております。
浦安センターは19年前と比較すると、倉庫チームに立体倉庫がありましたが、耐震性の問題から撤去しました。その代わりに今までと変わらない人員で対応できる様、クレードルを使用する管理方法に変更しております。切断加工チームは夜勤体制を実施し、効率の良い超鋼切断機も導入して、切断機の台数は減らしても切断数量を伸ばす事ができております。お客様からのご要望に答える為、社内にNC旋盤やMC加工機を導入して、加工能力を増強しています。足元の価格競争力や納期対応の対応は勿論ですが、今後更に加工技術力を高め、皆様のお役に立てればと考えております。
これから競争は益々激化するばかりです。我が社も更に進化しないと生き残ってはいけません。先ずは営業マンのレベルアップを図る為に情報の共有化を進め、問題点があれば会社全体で考え対応できる様な体制を作ります。社外講習会へも全員が参加して、個人の見聞と発想の幅を更に広め、営業活動に活かします。
浦安センターは日々の改善活動を通し、益々効率化を高め新設備導入も積極的に進め、コスト、品質、納期の競争力を高めます。難易度の高い加工品に対応する為、社外ネットワークも活用して、お客様満足度を更に高められる様、より一層活動を強化して参ります。
最後に、ウォルト・ディズニー氏の言葉を紹介します。
「ディズニーランドはいつまでも未完成である。現状維持では、後退するばかりである。」
今後とも、皆様方のご支援とご鞭撻を賜りますよう、お願い申し上げます。 |
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甲府営業所 新生産設備導入 |
今年7月に生産能力、品質・技術向上の為に、新設備を1台導入致しました。
新設備は、株式会社滝沢鉄工所製、CNC普通旋盤 TAC-650X2000型、主軸貫通孔φ135の大径主軸特別仕様機です。加工サイズは、心間2000mm 外径φ190まで加工可能で、精度はもちろん操作性・省メンテナンスであり、TAC-シリーズのみが内蔵する、楽々ソフトは汎用性に優れた普通旋盤と、高性能な数値制御機能を有します。既存の設備では、今まで対応出来なかった、高精度仕上げミリネジ・インチネジ・テーパネジ切り加工、主軸回転を止めた状態で、掴み直したワークに刃合わせするネジ再加工などの対応も可能な設備です。
この新設備を武器に、更なるお客様のご要望に応えられるよう技術力・品質・生産性を高め邁進しますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
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『憩』 |
■川遊び
私の小さいころ夏休みになると家族で父の実家の早川によく遊びに行っていました。何をしに行くかと言うと、おじいちゃん、おばあちゃんに会うためはもちろんですけど、一番は川で遊ぶためです。
早川に遊びに行くときは、私は5人兄弟で準備するにしても誰も動かないので、母が昼ご飯のおにぎりを作ったり、兄弟全員の海水パンツの準備をします。車に乗り込みいざ出発しても大体忘れ物があるのでスーパーに寄っていきます。そこでお菓子を買うのも楽しみでした。
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早川の家に着くと川までは歩いて2分位の距離なので、荷物も下ろさずにすぐに着替えて入りに行きます。初めは水も冷たく感じるけど慣れれば大丈夫です。体が慣れてくると兄弟全員で魚取りが始まります。岩の下に手を入れると魚がいるので、それを捕まえて競争が始まります。一番上のお兄ちゃんには勝てないけど、楽しかったです。
今年は久々に早川に行きましたが、昔と違い工事の影響で川の水も少なく魚もいませんでした。少し残念でしたけど、来年はまた家族全員で行きたいです。
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■海の武士道
私は歴史が好きで、いろんな偉人を見てきました。その中でもあまり表立っていない人を紹介しようと思います。
皆さんは工藤俊作(以下工藤艦長)という人をご存知でしょうか?彼は元大日本帝国海軍の士官で最終階級は中佐にまでなりました。工藤艦長が武士道を示したのは第二次世界大戦時の時でした。
それは1942年2月27日から3月1日に起きたスラバヤ沖海戦の後の出来事です。この海戦で日本は駆逐艦1隻大破に対して、連合軍側は重巡1軽巡1駆逐艦5が撃沈し重巡1が小破という、日本の完勝で終わりました。
翌日の3月2日に工藤艦長は駆逐艦「雷」でこの海域をパトロールの任務に就いていました。その任務中に、連合国軍のイギリス海軍の乗員が漂流しているのを発見したのです。
本来なら敵である連合国の兵を見捨てるか、殺してしまうかであるのですが、なんと工藤艦長は漂流していた兵を全員助けたのです。その人数は422人で雷の乗員の二倍の人数でした。
全員救助した後は、オランダの病院船に引き渡し、別に任務のためその場を後にしました。
実はこの話は最近まで誰も知らない話で、救助したイギリス海軍の一人であるサム・フォール氏が「死ぬまでに工藤艦長にお礼が言いたい」という思いがあり明かされた事実でした。それまで身内や軍内部でも誰も知らなかったのです。
なぜ工藤艦長が敵を助けたのかは、元々性格がおおらかで温和であり、艦内では鉄拳制裁を厳禁にし、部下に分け隔てなく接していたといわれています。そのため「工藤大仏」という渾名までついたそうです。
工藤艦長が、敵味方、上司部下などなど立場を平等にかつ公平に見れる人であるということが、同じ日本人の誇りであり尊敬する所だと思います。
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