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歴史的な不況から、少しずつ明るい光が見えてきつつあるように感じる最近です。回復が、確実で豊かなものである事を、強く願っております。しかし、冷静に考えると、経済の基調は金融危機の影響から徐々に開放されつつあるとはいえ、GMの倒産に象徴されるように、大きな変化はないように感じます。決して楽観できる状況ではありません。
話しは変わりますが、先日知り合いの人と、『今の時代はどんな時代なのかわからないけれど、時間を飛ぶことができたら、10年後の世界を見てみたいね。』と話しをしました。それがどのようになっているか、ああでもない、こうでもないと、いろいろと無責任に話しましたが、分かるようで分からなく、10年後は本当にどうなるのかまったくわからないというのが結論で、今は改めて、非常に不安な時代なのだなあ、と感じました。
それと同時に、10年後には何か今の立場ではまったく想像ができないような考え方が主流になり、新しい生活様式が定着しているような気がいたします。今の時代はその時から見ると、非常に旧式な時代遅れに見えるのではと想像いたします。今を生きているわれわれは、ある意味では過去からの比較では、相当に生活のレベルが上がり、さらにこれ以上の進歩を目指そうとしているのですが、何かわからない大きな困難にぶつかっている状態であるような気がいたしますが、これこそが問題で、どこかまったく気がついてない肝心な部分があって、それの発見とともに、まったく新しい技術や発見が続々と行われ、ルネッサンスとか、産業革命とかの時代に近いような、大きな変化の時代が始まるのではないかと思います。その夜明け前の状態が、今ではないかとも想像できます。過去の延長線上での今があり、更にその延長線上に未来があるとの発想では、多分、新しい発想が生まれないのではないかとも感じております。これは私の夢なのですが、今がその新しい時代の創造の苦しみの時間であって、この困難の後にはまったく新しい時代が広がっている事を期待しております。
夢は夢として、少し明るさが見えてきたとはいえ、現実は非常に厳しい状況が続いております。どうにかして絶対にここを乗り越えなくてはいけません。個々の会社がやるべき事をしっかりと行い、体制を整え、環境が改善するまで、がんばりたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
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今年で15年目となる村山徳内ばやし。8月に3日間、村山駅の周辺道路を踊り手と山車がねり歩くお祭り。最初の頃は3団体で始めたお祭りだったが、今は10以上の団体となる山形県代表とするお祭りになっている。
春頃から練習が始まり、お祭りが終るとともに夏も終る。そんな徳内ばやしは今の自分にとって、友達以上に大切な存在になっているのかもしれない。
はじめは友人に誘われお祭りを見たのがきっかけだった。お祭りの雰囲気、囃子の音色、踊り手の熱気と全てが衝撃で「すごい!!」と思うよりも「自分も参加して興奮したい」と思った。
それから、お祭りの地元に友人がいるわけでもなく参加したいと思うまま3年目のある日に会社関係の方からの紹介で団体に加入でき今年で5年目の参加となる。祭り以外にも、結婚式の余興や宮城県塩釜の大漁祭・・そのほかにも細かいイベントは年内通してたくさんある。それも楽しみである。
囃子の音色・踊り手の奇声にも聞こえるような掛け声などお祭りを肌で感じるものもあれば、お祭りこその見事な髪型も楽しみの一つになる。
私も髪型をモヒカンにしたり、去年まで2年連続で後頭部にピンク色のハート型の髪型にして笑いを誘っていた。
今年は、どんな髪型で目立とうか。そんなことはお祭りの終わった直後からずっと考えている。ドラマチックな内容は難しいかもしれないが、今年も仲間と最高のお祭りを楽しみたい。人によって、お祭りのイメージはいろいろあると思います。お祭りの熱気が好きな方はぜひ、村山徳内ばやしを見に来て、肌で感じてみてください。
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